平山 廉さん 古代生物学者
1956年、東京生まれ。 |
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実際の恐竜に基づいて発想する
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著書「最新恐竜学」で知られる平山廉氏は、古脊椎動物学を専攻し現生、化石を問わずカメ類の系統進化の研究者である。
氏のコンセプトは「恐竜に基づいて発想する」。フェバリットコレクションに恐竜造型に関する最新の基本データを提供、データの良し悪しのアドバイスなど冷静に見つめている。
フェバリット・コレクションの監修者であり、サイトには「カミナリ竜のプロポーション」「恐竜発見物語」などオリジナル原稿の連載している。 -
僕はもともと爬虫類の研究を志したのですが、当時、日本では爬虫類を専門にやってる人は誰もいませんでした。恐竜も含めて漠然と爬虫類と考えていましたが、現実問題として目の前に実物、材料がないと研究はできません。
師匠の亀井先生が、『カメの化石ならあります。人から預かったものもありますから、君、これをやりなさい』と言われたのですね。
最初は入り口のつもり……、スタートのつもりだったのですが、実際研究を始めるとカメはカメでとても面白い生物だと解りました。
ですから僕の場合、恐竜がメインというよりも、あくまでもカメで培った研究成果を恐竜に当てはめた場合にどうなるか……ということをやっているのかもしれません。
「最新恐竜学」を読んでいただければお解りいただけると思いますが、結果として、今までの恐竜像とは全く違うモノやコトが見えてきます。決してアンチテーゼではありません。もっと素直に恐竜を考えようというそれだけなのです。
カメ類をベースに恐竜を説明するのは、カメは現在も生きているものもいますから、根拠が明確で確実な話ができるということです。
いきなり恐竜だけの話だと、生きている状態で観察することはできませんから、根拠が無く曖昧なところが多いわけです。他の研究者の方も何かしらベースに、或いは根底持っておられるはずです。 -
確かに氏の著書「最新恐竜学」は、カメ類に根拠を求めながら恐竜の生きていた時代を考察し、生理学、生態学に及ぶ恐竜の解説が成されている。
これは、氏がギャフニー博士(アメリカ自然史博物館)の哲学に共感するからである。本著の中で平山氏は次のように記している。
『ジーンは世間が恐竜に異常な感心を寄せていることを、ある本の中で「社会病理」とまでいっている。ただ、彼は恐竜そのものより、恐竜の研究者にありがちな純粋に科学的・客観的な研究姿勢の欠落や、一般の人々に対する迎合的な態度を嫌っているように思われる。彼は古生物に関して"事実"以外の推論的で検証不可能なことに触れるのを非常にいやがる。』(*ジーン:ギャフニー博士の愛称) -
地質学で最初に教えられるのは『現在は過去の鍵である』ということです。要するに現在を知ることで過去が解き明かされる。実際に、生物を観察してチェックできるのは現在だけです。勿 論、種類も環境も違いますから、現在のことを、そのまま恐竜の時代に当てはめることはできません。しかし、住んでいる場所は同じ地球であり、それに生物の基本はそれほど変化することはないと思うのです。
例えば、今のカメを観る。カメがどういう状態だったら生きていられるのかを考える。
そのことが恐竜研究の一つの目安になるわけです。
今の生物をしっかり観察することで、恐竜のチェックできない部分、確かなことを言えない部分が明らかになります。そうすることで、新しい恐竜像が見えてくるわけです。
特に首の長い竜脚類。あのデカイ恐竜の生態を生真面目に考えると、今の動物と全く似ていないのです。恐竜を、たまたま今生きてるゾウとかキリンとかワニとかそういったものに安易に似せてきたんですね。
実際の恐竜に基づいて発想するならば、今、生きてるどんな生き物とも違う、ユニークな恐竜像が見えてきます。 -
氏はアメリカ自然史博物館のバロサウルスの後足で立ち上がった復元骨格の大腿骨が骨盤から脱臼していることを見逃さなかった。
『竜脚類の頭骨や背骨の形態そのものが首を高く持ち上げる姿勢を作るのに不向きであった』のであり『後肢で立ち上がれば頭はさらに心臓より高くなるので、さらに高い血圧が必要になる』という生理学的根拠、実際の恐竜に基づいて発想するならば、当然のこととして大腿骨の脱臼が見えてくるのだ。 -
最も大切なことは先入観を持たないことです。その代わり実物、目の前にあるリアルなモノをちゃんと観る。一番いいのは博物館に行くことです。そして、恐竜を実際に観察するのは大きくて重いし大変ですから、特に昔の人が書いた論文をしっかり読むということですね。
そうすることで、真の空想や想像に役立つ科学的な根拠を得ることができるのだと思います。
イメージも空想なのでしょうが、それだけではサイエンスではありません。
人間は自分の経験から判断します。そういう意味では『現在は過去の鍵である』と素直に解釈すれば、似ているものに当てはめてしまうのは仕方のないことかもしれません。しかし、例えば、初期のアメリカにおける竜脚類の復元は、皆真っ直ぐ前に首が出てるカタチになっています。キリンのように上にあがってるのは一つもありません。それ以外に骨格の組みようがなかったのです。キリンのように組み立てると首の骨が脱臼するからなんです。
証明可能な事実に基づいて、発想してゆく。それがサイエンスなのです。
恐竜関係のHPでも特に海外のサイトは情報が速く、つい昨日のような情報が掲載されています。知っているという点では事欠かない時代ですが、問題はそれをどう評価するかです。どんなものにも真実はありますし、また論文が全てが正しいということもありません。100%正しいと思うならそれはサイエンスではなく宗教です。 -
子供の頃、巨大な恐竜、強い恐竜に憧れと興味を持った人は多い。
そして、いつの間にか恐竜への憧れの気持ちは薄れ、忘れてしまったままになっていたりする。何が原因で恐竜のようなユニークな生命が、広がりをもたないのか。
今のこの時代に、再び恐竜の不思議や面白さを科学的な視点で捉え直し「恐竜に基づいて発想」し、語ることができるならば……それはとても素敵なことのように思えるのである。 -
たぶんそうだと思うのですが、多くの科学者がそうであるように恐竜研究者もまた、自分が恐竜のことが面白いから、もっと知りたいから研究をしています。世の中の人が面白がってくれるかというのは実は、別の問題なのですね。そういう意味では、広がりが閉ざされているのかもしれません。
今、新しい本作りのために資料をまとめています。過去に、だれが新種をどれだけみつけたか数を並べてみたのですが、これだけでもとても面白いのです。一番多いのはドン=チミンさんで22。マーシュやコープは意外に少ない。あとで名前が潰されたのがありますから。いま生き残ってるのは18しかない。今までに発見された恐竜の属の数は有効と思われるものだけで453です。数字だけみても興味深いです。 恐竜がどんなふうに面白いのか……。結局、それを伝えてくれるのは志を持ったヒトとメディアでしかないような気がします。
(インタビュー:杉原正樹)














