新恐竜秘宝館

Vol.61 恐竜プラモデル史 6

1984年。この年の日本の恐竜模型界はさながらカンブリア大爆発の様相を呈し、おかげで私の財布もダイバクハツ!。

当時アニメキャラや怪獣などで一般に浸透し始めていたガレージキットのメーカーのひとつ「海洋堂」の機関誌「アートプラ」に恐竜シリーズ発売予告が載ったのが前年の12月。そして「ホビージャパン」誌が4月号 (写真1) で大々的な恐竜特集を組みます。表紙を飾ったのは荒木一成さん作のスピノサウルス。これが、その後の日本の恐竜造型をリードする荒木さんのデビューで、スピノサウルス、オルニトレステスの製作記事の他、数ページにわたって恐竜への思いのたけを語っています。他にも数人のモデラーが参加していますが、恐竜には特に思い入れも無い様子で、スミロドンやマンモスやプテラノドン等恐竜以外の古生物製作でサポート役にまわり、実質的には「荒木さんとその恐竜」の特集記事でした。

写真 1

そしてこの特集号に呼応する様に(と言うより記事の方がキャンペーンだったのでしょうが)海洋堂から「恐龍博物館シリーズ」が発売されます。レジン製キットで、まずは1/20で荒木さん原型のトリケラトプスとティラノサウルス。トリケラ20000円、ティラノに至っては38000円と非常に高価なのですが、意を決して購入しました。この時点での我がコレクター史上最大の買い物でした。

注)ガレージキットはプラモデル(インジェクションキット)とは区別されますが、本家「プラモデル50年史」でも1章を割いていますし、何と言ってもガレージキット抜きでは、この「恐竜プラモデル史」、1993年のジュラシック・パークの年まで空白になってしまいますので…。

さて買ったはいいものの、棚に飾るまでがまた大変。初期のレジンキットは技術的な問題なのでしょうが、接合部分が全く合わないので自分で削って合わせ、パテ埋めし、消えたウロコ、シワ等のモールドを掘り直すという作業をしなければなりません。(ちなみにティラノは歯が一本も無いのでエポキシパテで自作しました。)時には重いレジンの塊を数十分間も手で支えながらの作業で、筋トレにもなり一石二鳥…そんな苦労の成果です(写真2、3、4、5、6、7)。特にティラノは苦労した甲斐があったというもの。文句無く格好いいです。おそらく市販の恐竜模型としては世界初の水平姿勢もさることながら、この躍動感、重厚さは、当時「新たな恐竜像」に熱くなっていた私が正に待ち望んでいた恐竜模型でした。昨今の骨格を基本としたリアル生物志向の造型とは異なりますが、別の意味で生きているようです。咆哮が聞こえてくるようではありませんか!。

写真 2
写真 3
写真 4
写真 5
写真 6
写真 7

写真8のケラトサウルス(1/20)も同じ頃に発売された物で、原型はなんと荒木さん高1の時の作品とか!!

写真 8

海洋堂の恐竜シリーズはその後他の原型師を巻き込みながら増殖を続け、1988年版のカタログによると、1/20シリーズ10種、1/35シリーズ31種、1000円前後のお手頃コレクションサイズシリーズ18種(写真9、10、11―このシリーズは全て荒木さん原型)を数えます。しかもこの時点では未だ松村しのぶさんの恐竜や山崎繁さんの骨格モデル(秘宝館Vol.26)は加わっていないので、さらに30体以上は増えるというのに…その8割がたが我家にあるという事はいったいいくら海洋堂に注ぎ込んだことやら…。

写真 9
写真 10
写真 11

この膨大な海洋堂恐竜の全てを紹介するのは到底不可能ですので、次回は特に印象的な物を選んで、ご覧いただこうと思います。最後に取っておきのお宝を見せびらかしちゃいましょう。写真12、13、14の「オルニトレステス+始祖鳥」は前述のホビージャパンに載った物の現物で、荒木さんご本人に頂いた物!どーです?羨ましいでしょ。

写真 12
写真 13
写真 14

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田村 博 Hiroshi Tamura

ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。