Vol.47 「ざんねんな恐竜本」
近頃大はやりの「ざんねんな〜」本。そもそもは2016年に出版された児童書「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)の大ヒット(現在続々まで刊行され、累計270万部突破とか!)に端を発していると思われますが、それに続けとばかり様々なざんねん本が一般書にまで拡散、生物系はもとより「ざんねんな偉人伝」や「ざんねんなクルマ事典」「ざんねんな名言集」「ざんねんな婚活」までもう何でもありです。「残念な〜」や「どんまいな〜」「せつない〜」など類似本をいれると、アマゾンで検索するのが嫌になってしまう位多数出回っています。
勿論古生物系も何冊かあり、なかでも「わけあって絶滅しました」(ダイアモンド社)は去年7月の初版ですがいまだに書店に平積みされ、40万部を突破するという古生物本としては異例の売れ行き。絶滅動物がその原因を自嘲気味に独白するスタイルは面白いのですが、受けを狙いすぎて若干暴走発言も。解説でフォローし、あとがきには「実は人類によるもの以外は、たしかな原因はわからない」といった但し書きもあるのですが、記憶に残るのはおそらく笑える「独白」の方。という事は近い将来、「マメンチサウルスが絶滅したのは首が長すぎたせい。」とか「スピノサウルスは川から出られなかったんだよ。」とかしたり顔で話す大人が、最大で40万人も出現するのかと思うと、心配で夜も眠れません。
古生物関係ざんねん本は他に「やりすぎ恐竜図鑑―なんでここまで進化した!?」(小林快次監修 宝島社)と「おしい!ざんねん!!会いたかった!!!―ああ、愛しき古生物たち」(土屋健著 笹倉出版社)があります。見出しなどに面白おかしくしようとする意図は感じられますが、日本の恐竜学最前線にいる方々が関わっているとなれば内容は正統かつマニアックになるのは必然、ざんねんながらざんねんな本では無くなっています。
という事で「新秘宝館」もざんねんブームに便乗、今回のテーマは「ざんねんな恐竜本」です。私が買ってざんねん、読んでざんねんと思った本のオンパレードで、あくまで個人の感想です。いくつかのジャンルに分けて紹介します。
●「恐竜」のざんねんな使われ方
「恐竜=愚鈍で巨大になりすぎて滅んだものの象徴」という旧来のステレオタイプのイメージで、社会や人間等様々なテーマを語るという世間一般に有りがちな本。この手の本は私は恐竜本とは認めず収集もしていなかったのですが、今回折角なので「恐竜」がどのような扱われ方をしているか知りたいと思い、アマゾンの1円古本を何冊か購入しました。1円とはいえ送料が300円前後かかっています。(画像1 上段)
*たまたまかもしれませんが今回見つけた本は90年代から2000年代にかけて出版されたものが殆ど。最近は少なくともタイトルでこの様に恐竜を扱った本はあまり見かけません。世間に新しい恐竜像が浸透してきたせいだとしたら嬉しいのですが。
「さよなら恐竜男たち」(水上洋子著 講談社文庫1996)
一言で言えば日本の男どもをボロクソにやっつける本です。斜め読みならぬ横読みをして恐竜の文字を探したのですが、ボス猿男やブロイラー男は出てくるものの恐竜男はなかなか登場しないなと思ったら何の事は無い、最終章が「さよなら、滅びゆく恐竜男たち」でした。最初に目次を見れば良かった…でもそのおかげで「イルカは約6千年前に海に戻った」などと男どもに付け入る隙を与えそうな記述を見つけてしまいましたが…。で、最終章の内容はというと、これが例の批判を集めたNHK番組「花に追われた恐竜」(新秘宝館Vol.14) http://blog.livedoor.jp/semiwide38/archives/9039204.html をさらに曲解。一方的に恐竜に食べられていた裸子植物がある時、「ただ食べられるだけの関係なんてもううんざり。」と考え被子植物に姿を変え昆虫を味方につけ、花を食べられない恐竜を絶滅に追いやったとし、あげくに「きっと花は恐竜たちにそっと囁いたに違いない。もうすぐさよなら、恐竜たち…。」と現代の恐竜男たちの運命とだぶらせています。もはや付け入るどころの騒ぎではありませんが、思わぬ収穫もありました。章の冒頭で当時の恐竜ブームを紹介、恐竜愛好家グループにも言及しているのです。つまり我々恐竜倶楽部の事を御存じだったわけで、これはちょっぴり嬉しい!しかし「ざんねん」なのは当時倶楽部の恐竜男たちも恐竜女たちもこの本の存在を知らなかった事。知っていたら飲み会がさぞや盛り上がった事でしょうに。
「自己診断・恐竜度チェック」(マーク・ブラウン著/多胡輝訳 TBSブリタニカ1990)
本書の前書きの冒頭で、訳者は「恐竜は1億年以上にわたって地球を支配した優れた種」「恐竜温血説」など恐竜ルネッサンス以降の恐竜像を紹介し、新しい恐竜像に知的好奇心がかき立てられるとしたうえで「しかし多くの人が恐竜にいだくイメージは「愚鈍」で、そもそも英語の単語「Dinosaur」には「大きすぎて役に立たないもの」「時代遅れの人」の意味も有り、この本はそんなDinosaur人間にならないようにするための自己啓発本だと紹介しています。もうこれだけ読めば充分。1990年にリアルタイムで恐竜ルネッサンスを楽しんでいる訳者の恐竜愛?と表紙の立派な竜脚類のイラスト(マーク・ハレットのマメンチサウルスの2頭合体という手が込んだパクリですが)でざんねん度70%OFFです。この好感が持てる訳者さんの名前、何処かで聞き覚えがあると思ったら何とあの昭和の大ベストセラー「頭の体操」シリーズの著者でした。ビックリです。(姉妹編に同じデザインで色違いの「企業診断・恐竜度チェック」もあります。)
「恐竜の道を辿る労働組合」(早房長治著 緑風出版2004)
これはざんねん度120%でした。「恐竜」が出てくるのは前書きの一節「労働組合は、恐竜への道を歩む可能性が高い」のひと言だけ!たった一回絶滅の引き合いに出しているだけなのに、なにもタイトルにこんなデカデカと「恐竜」と書かなくてもいいじゃないか!
「イタリア人の愛する恐竜」(五木寛之著・エッセイ集『みみずくの散歩』所収 幻冬社1994)
これは去年の暮れにアマゾンで購入した本。ネットで目次を見て、もしやあの五木寛之が恐竜を語るのか?と期待したのですが、ざんねんな結果に…。ミラノでオペラを観に行った話で、恐竜は「オペラはいわば現代の恐竜である。」のただ一言でした。
他に内容は判りませんが、ネットで引っ掛かったざんねんに違いない本のタイトルを挙げると
「立たない・歩かない・日本人の健康―恐竜の末路を辿るか日本人」(1999)*まさか恐竜が立てない・歩けないと書いてあるわけではないでしょうね…/「原発は滅びゆく恐竜である」(2014)/「これまでのビジネスのやり方は終わりだ―あなたの会社を絶滅恐竜にしない95の法則」(2001)/「愚連隊伝説―彼らは恐竜のように消えた!」(1999)
●BL恐竜
(画像1 下段)
これは正直苦手な分野。少女コミックに美少年の同性愛を描いたジャンルがあるのはうすうす知っていましたが(新秘宝館Vol.33「竜の眠る星」「翠迷宮・竜湖畔の殺人」)、そういったコミックや小説がBL(ボーイズラブ)と呼ばれていると知ったのは、多分、そうとは知らずに買った「捜査官は恐竜と眠る」(洸著 徳間書店キャラ文庫2011)からです。古生物学者とFBI捜査官のBL小説だったのはともかく、舞台が恐竜発掘地なのに恐竜の事はそっちのけで属名の一つも登場しなかった事に憤った覚えがあります。以前恥ずかしい思いをして買った、あのハーレクインの「恐竜博士の恋」でさえ、エバンテリアス頭骨化石(嫉妬に狂った大馬鹿野郎のせいで窓から投げ落とされ粉々になる!)が出てくると言うのに。
しかしそんな事でざんねんがっている場合では無かった!次に買った「恐竜とハツカネズミ」(七地寧著 大誠社リリ文庫2012)には表紙以外恐竜は出てきませんでした。Tレックスキャラとハツカネズミキャラの二人の少年の話だとォォォ…!。そしてヤフオクで、表紙の恐竜につられついつい買ってしまった「ピンクの恐竜」(たかむらにゃんこ著 同人誌2011)でようやく、この世界での「恐竜」は隠語であって、基本的に生物としての恐竜は登場しないという事を学習しました。しかし例外もあって、持ってはいませんが「暴君竜を飼いならせ」シリーズは恐竜の遺伝子を受け継ぐ恐竜人達が集う学園を舞台にしたBL小説だそうです。あの「恐竜探偵ヴィンセント・ルビオ」シリーズや、「ジャバウォッキー」シリーズと同じ流れをくむ作品だとしたら、恐竜本コレクターとしては揃えなければならないかなと悩むところではあります。
そして今回買ったもう一冊の1円古本が、このジャンルの「P・B・ラビリンス」(高円寺葵子著 二見書房 2000年)。一応表紙に卵に入った恐竜らしきものが描かれていますし、主人公は恐竜展に行ったり(本当にざんねんな鳥脚類風骨格の挿絵あり※195ページ)、雑貨屋で見つけた恐竜の卵の化石を欲しがったりしますが、その卵のキャプションが「ジュラ紀第三期プレティザウルス」(しかも消費税込2500円の値札付き)…ざんねんすぎます。これなら恐竜が出ない方がまだましかも…。どんなにお下劣でも文句は言いませんが、恐竜を出すからには最低限の勉強はしてほしい。BLの作者さん達に切にお願いする次第です。
*恐竜の同人誌は恐竜マニアが作る非常に濃い内容のものがあり、いずれ取り上げたいと思っているのですが、その一方でBLなどそちら系の物もこれでもかという程存在します。今回、BL同人誌情報を仕入れようと思い、恐竜+同人誌でネット検索したところそのあまりの凄さにたじろいでしまいましたが、その時にエロマンガサウルスの名がふと浮かんで、ついにんまりしてしまった自分もちょっぴりざんねんでした。
●表紙のみの恐竜
BLの項にも出てきましたが、内容とは関係なく表紙に恐竜がデザインされている本・雑誌は多数あります。表紙だけにお金を払うのはざんねんな気がしますが、中には表紙だけでもありがたい本もあります。(画像 2)例えば「週刊文春」の2008年と2014の4月17日号は、たまたま発売日が「恐竜の日」と重なったため、和田誠が描く表紙に恐竜が取り上げられたという嬉しいもの。フリーペーパーとして配布された「konoha」(文一総合出版2009)の表紙もティラノの体が太陽の塔の生命の樹の様になってアートしています。スカウト情報誌「タオ」(1991)の表紙は何故か当時としては珍しいパキリノサウルスの模型です。短編ミステリーのアンソロジー「奇想博物館」(光文社2013)の博物館=恐竜骨格はわかり易いですが、「吸血鬼エフェメラ」(大原まり子著 早川書房1996)の表紙は意味不明。裸の吸血お姉さんが抱いているのは我家にもいるナノサウルスで実際は半分位の大きさです。私が最初に買ったレプリカのひとつで愛着のある物。買った当時はナノサウルス(種小名はなまいきにもrex)でしたが、その後オスニエリアと呼ばれ、現在はオスニエロサウルスになっています。
ウィキページの右の写真は我家の物と同じですが、ブリガム・ヤング大学に有る実化石には頭がありません。
大人の漫画誌「アクション」は1988年と1990年、「TV-STATION」は1989年、NHKテキスト「プレキソ英語」は2012年のものです。そして勝山の恐竜がバックの「福祉広報」は今年の物です。
コンピューター専門誌「インターフェース」は2011年、毎月CG恐竜が表紙を飾りましたし、隔月刊「日本児童文学」の2016年の表紙は、黒川みつひろの恐竜画でしたが、さすがに表紙だけでここまでは集められず、別の意味でざんねん本の仲間入りとなりました。(画像3)
●期待して買ったのに…
開いて唖然とした本の筆頭は、新秘宝館Vol.29で愚痴った、どう見ても恐竜にしか見えないコモドドラゴンが表紙の「緑の無人島」ですが、最近それに次ぐ本を購入してしまいました。「名探偵バンス・恐竜殺人事件」(バン・ダイン作 ポプラ社1973)。ネットで以前から気になっていたのですが、ヤフオクで見つけ3000円程で落札できました。で、勇んで読み始めたら前書きの最後にいきなり「なお、題名の『恐竜』は、空想の恐ろしい生物の竜(ドラゴン)のことで、大むかし地球上にいた巨大な怪獣のことではありません。」その瞬間、読む気が失せました。しかも後書きにはご丁寧に「〜もとの題名を『ドラゴン殺人事件』といい」云々とわざわざ自白。これって題名詐称で犯罪に当たるのではないでしょうか。(画像4左)
●これが「ざんねんな恐竜本」ベストワンだ!
私が選んだ日本で最もざんねんな恐竜本は「地球絶滅恐竜記」(竹書房1988)です。画家の清水勝は60年代〜70年代にかけての恐竜画の第一人者、草分け的な存在ですが、その作風はブリアンの模倣。完全パクリ的な作品も多くあります。その絵を恐竜ルネッサンス真盛りの1988年に31cm 255ページ8800円の豪華本で拝めるという趣向。しかも表紙までバッカーの「恐竜異説」を日本版(平凡社1989)の発売前にパクったとあっては、ざんねん度200%アップです。そしてなんという巡り合わせか、この本の著者、今泉忠明は「ざんねんないきもの事典」シリーズや、「わけあって絶滅しました」の監修者その人なのです。(画像4右)
最後に口直しに「ざんねんじゃなかった」お話。
前回、とことん悩みまくる宣言をした「少年」明治45年6月号ですが、と…の辺りでやはりというか、我慢できず購入してしまいました。これが大正解。まずはこちらをご覧ください。
表紙と執筆者、開祖・横山又次郎博士の御尊顔。(画像5)以前、新秘宝館Vol.6で紹介した写真よりもはるかに若く、髪がフサフサとしています。これだけでも貴重ですが、これまで手に入れた学術書と違い、子供向けに平易な言葉で語りかける文章は人間味が感じられ魅力的です。
記事のタイトルは「前世界の大怪物・梁龍(りょうりう)と三觭龍(さんきりう)と剣龍(けんりう)と細顎龍(さいがくりう)と」。ディプロドクス・トリケラトプス・ステゴサウルス・コンプソグナトスの事ですが、ここでは何故か和名表記のみです。これらの和名は明治27年の「化石学教科書」で既に使われているので、横山博士が命名したものでしょう。ちなみに博士が考案した和名は他に放散虫・紡錘虫・甲冑魚・始祖鳥・菊石・蘆木・鱗木など、多数あるそうです。
博士は、本文の冒頭で前年に訪れたカーネギー博物館と梁龍を紹介、博物館の規模に「殆ど目を回さぬばかりに驚きました。」と告白、そして日本にこの様な博物館が無い事を「何といふ情けない事で御座いませう。」と嘆きます。そして「日本でも誰か豪い金満家が奮発して、社会のため、学問のため、又世界文明の為、外国の博物館にまけないような大々的天産物博物館(自然史博物館?)を建設せんことを明暮希望してやまぬ次第でございます。」と本音を語ります。その後で三觭龍・剣龍・細顎龍を事細かに紹介しています。例えば細顎龍は「尾が長く後肢は蛙の足に似て長く、前肢はすこぶる短く、又頭はワンワンの土左衛門とでも言ったやうな有様で、実に滑稽至極な代物でございます。」と説明。なかなか面白そうな方です。(画像6)
考えてみれば横山博士が「恐竜」を発明してくれなければ、恐竜博物館も恐竜展も恐竜倶楽部も恐竜とハツカネズミも、そして恐竜秘宝館も無かったわけで、その功績は絶大です。にもかかわらず、ネットの日本の科学史を解説するページ(例えば「日本史 明治・大正時代に文化や技術で活躍した人々」の自然科学の項)、にその名は無く、不当に評価されていると言わざるを得ません。横山又次郎博士が北里柴三郎や野口英世と肩を並べる明治の偉人となり、書店に「横山又次郎伝」が並ぶ日が来る事を、明暮希望してやまぬ次第でございます。
*恐竜とは関係ないのですが、ちょっと気になった事があります。明治45年といえば今大河ドラマでやっているストックホルムオリンピックの年。「少年」などの少年誌は当然特集を組んでさぞや盛大に盛り上がっているかと思いきや、4月号も6月号(オリンピック真最中)も、一言も触れていません。これはいったいどういう事なのでしょう?実は国民の殆どはオリンピックなど知らなかったのでしょうか?
おまけ:「ジュラシック・ワールド」フィギュアのその後
フィギュア新作発売は留まる所を知りません。もはやパッケージに「炎の王国」のタイトルも無し。写真は最近の物の一部です。コンカヴェナトルとドラコレックスはロックウッド博物館のシーンで模型がチラと出てくるようなので良しとして、アルバートサウルス、ランフォリンクスはまだJPシリーズには出演していません。他にもいくつか新発売されているのですが、とても買い切れません。このペースで次回作公開までフィギュアを出し続けられたら…もうエライ事です!(画像7)
田村 博 Hiroshi Tamura
ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。