新恐竜秘宝館

Vol.15 秘宝館の全貌〜其の九 青春ジオラマ編前編

そもそも私が日本の恐竜界?にデビュー?したきっかけが、1984年7月号の「ホビー・ジャパン」誌の投稿コーナーに載った、レコードキャビネット上に作ったジュラ紀のジオラマでした。勢作日数実に1年半の大作で、お褒めの言葉を預かって嬉しかったのですが、実際、その数年後にお会いする事になる荒木さんや恐竜倶楽部の面々もこの作品を覚えていてくれて、すぐに恐竜仲間として認知して頂いたといういきさつがあります。その後もこのジオラマは何かと活躍してくれまして、テレビにも何度か登場しています。極めつけは「なんでも鑑定団」で女性レポーターが、合成でジオラマ内を歩き回るというシーン。ここまで凝ってくれた番組製作会社の人に感謝感謝です。欲を言えば私も一緒に歩きたかったのですが…。

制作当時30歳位でしたので、青春ジオラマと言ってのけるのは無理があるのですが、私の恐竜人生にとっては正にこれからという意味で青春真っ只中だったわけで、それが証拠に、今でも制作の日々を思い出すと甘酸っぱさが込み上げてきます。BGMは全盛時の松田聖子に知る人ゾ知る門あさみ等など。(言い訳するようですが、ジャズは職業柄つい真剣に聞いてしまうので、BGMには向かないのです。)
実はこのジュラ紀の前に、白亜紀ジオラマをやはりレコードキャビネットの上に作っていまして、こちらは緑色の絨毯の切れ端の草原に透明プラ板に裏から色を塗っただけの川、鉄道模型用の木などのベースに、小さな消しゴムの恐竜(ゴムなので中に針金を入れてポーズを作っています)を多数並べた、お手軽で稚拙な物でしたが、これがなかなか楽しくて、それならば本格的な物に挑戦と相成った次第。恐竜は当時手に入る中で最もクオリティの高かった大英自然史博物館製の物を主に使用、植物は鉄道やミリタリー模型の情景用で使えそうな物を模型店を巡って物色、加えて大量のシダ類を地表に植える為に、安上がりな椰子の木セットを若い娘がたむろすバラエティショップで勇気を出してまとめ買い。こうした材料集めだけで数ヶ月は費やした様に思います。
準備万端整って、いよいよ制作に取り掛かります。まずは発泡スチロールでだいだいの地形を作り、砥粉(とのこ)とボンドを水で混ぜた物を塗りたくり、さらに情景用パウダーを少々振りかけて地面の出来上がり。次は水面作りですが、その模様は次回に。

ジオラマディプロドクス
「沼から上がろうとしているディプロドクス:勿論竜脚類の水棲説は当時既に否定されていたのですが、なんとなく絵になるので・・・。象だって水浴び好きなわけだし。それはともかく、彼方にいるバロサウルスの首を高くかかげた姿勢まで否定される事になろうとは。ホビージャパンに投稿した写真です。」

ジオラマメガロサウルス
「たたずむメガロサウルスを中心にステゴサウルス、スケリドサウルス、オルニトレステスがいます。奥行きが出ていて好きな写真です。」


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田村 博 Hiroshi Tamura

ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。