Vol.56 恐竜プラモデル史 1
先日、書店で「日本プラモデル50年史」という5000円もする立派な本を見付け、思わず衝動買いしてしまいました。正に感涙物の、子供の頃に確かに作った記憶があるプラモデルのカラー写真と記事の数々に加え、「昭和プラモデル全リスト」というCD-ROMが付録についていて、中に恐竜プラモのデータも有り、製品の発売年が判明したのは収穫でした。ちなみに秘宝館第1回で紹介した日本最古の恐竜プラモデル、今井科学の「歩く剣竜」は1963年の発売と判明。「こうなったら私も恐竜のプラモデルの歴史を書かない訳には行くまい」と一人意気込んで、これから数回に亘って【恐竜プラモデル史】を連載する事と相成りました。
私が恐竜のプラモデルの存在を知ったのは、1961年に刊行された日本初のプラモデルの本「プラモデル読本」の誌上でした。当時8歳のいっぱしの模型少年だった私は、紙面で紹介される高嶺の花の精巧な飛行機や車の輸入キットに憧れて(国産の物はまだ玩具みたいな物でしたので)毎日のようにページをめくっていました。その本の後ろの方に変わったプラモデルを紹介するページがあり、原子力発電所や海底油田基地、毛皮付きリス等にまざって「骨のひとつひとつを組み立てる恐竜骨格モデル」が紹介されていたのです。写真は無かったのですが「レンウォール(RENWAL)社製」と記されていたその記事が子供心に刷り込まれそれ以来ずっと頭の片隅にあって、数10年後恐竜コレクターになってからは事あるごとに探していました。実は「RENWAL」は誤りで「ITC」製と判明したのは大分近年になっての事。それが世界初の恐竜プラモデルとされる1957年発売のティラノサウルス(写真1、2:今様の方は筆者が改造した物)とステゴサウルス(写真 3)、そして1962年発売のブロントサウルス(写真 4)とネアンデルタール人(写真 5)の骨格モデルです。これらは90年代に「GLENCOE MODELS」から復刻され、作例はそちらを組んだ物(オリジナルも欲しい!)。骨のひとつひとつとまではいきませんがとても良い出来です。特にニューヨーク自然史のAMNH5027をモデルにしたと思われるティラノサウルスは、最初の恐竜プラモとは思えない素晴らしさです。
「ITC」から少し遅れて50年代末「PALMER」というメーカーからもブロントサウルスとアメリカマストドンの骨格キットが発売されました。これらは60年代に「NATURAL SCIENCE LTD」とロゴを変え、同じパッケージで再販されています。秘宝館Vol.20で紹介したニューヨーク土産がそれですが、改めて(写真6、7)。
やはり50年代の終わり頃、「PYRO」から肉付きの恐竜も出ています。ステゴサウルス・ティラノサウルス・ブロントサウルス・トリケラトプスという王道を行く4種で(写真 8)、おもちゃの様な造型です。写真のパッケージは後期の物でオリジナルは漫画風イラストですが残念ながら未所持。「PYRO」は1968年に新たに4種類を発売しました(写真 9)。
進歩のあとが伺えて、特にブリアン風のコリトサウルスは良い出来です。「PYRO」の製品はその後70年代に「LIFE-LIKE」から単体やジオラマ仕立て(秘宝館Vol.18の写真2)で再販、「LINDBERG」からは79年にステゴサウルス・ティラノサウルス・ブロントサウルス・ディメトロドンが再販され、そして93年、ステゴサウルスとコリトサウルスがディテールを改良して、同社のジュラシック・パーク・シリーズに加えられています(写真 10)。
以下次号。
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田村 博 Hiroshi Tamura
ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。