Vol.58 恐竜プラモデル史 3
1977年12月号の模型誌「ホビー・ジャパン」に、日本模型誌史上初の恐竜特集「ロスト・ワールド/太古の世界」が掲載されました。これはイギリスのプラモデルメーカー「エアフィックス」から、ティラノサウルスとトリケラトプスのキットが発売されたのを受けてのもの。そしてこのティラノこそが、私が作った本格的な恐竜プラモ第1号なのです。今回はエアフィックスの恐竜シリーズです。
エアフィックスは1/72スケールの飛行機のキットで有名なメーカー。残念ながら恐竜は統一スケールではなく30㎝前後の大きさですが、スケールモデルを得意とするメーカーだけあって一応リアル志向です。シリーズは1982年まで続き、後に「U.S.AIRFIX」「ERTL/AMT」「HELLER」等のメーカーから一部復刻されました。
今回この記事を書くにあたって、初心に帰る(?)意味で、ストックしてあった物を32年ぶりに作ってみました。懐かしさがこみ上げて来ました。いいものですね。でも製作技術は大して上達していないかな…。後ろにいるのが第1号です。面白い事に、ホビージャパンの製作記事の中に「頭部はちょっとエラが張り過ぎて、口の先が細いようだが、これは修正不可能なので我慢しよう。」とあり、今なら「それでいいのだ!」と突っ込む所ですが、当時はティラノの両眼視のことなど誰も知らなかったのです。77年の時点で目が前を向いていたティラノは多分これだけ。
オーソドックスですが、さりげなく斜めに角を構えた姿はなかなか強そう。ティラノとは同一スケールなので「伝統の対決シーン」が再現できます。
1978年発売。表面の大きすぎるウロコ(?)が気になります。寸詰まりだし、頭でかいし…。
これも同じく78年物。装甲や棘は良く出来ているのですが、プロポーションが寸詰まりな上、顔が何とも不気味。この年は不作のようで。
1979年の発売。これも表面のモールドが大げさすぎていけません。顔付も何かだらしない(!?)。
1979年製。当時これを作った時、エダフォサウルスみたいな帆が許せなかった私は、ゴムの玩具から帆を流用したりパテを盛ったりして原型を留めぬ程の大改造をしてしまいました(後方)。そのおかげで今回作例とするわけには行かず、新たにストレートに一体組みました。ディメトロドンらしさにこだわらなければ結構格好良いと思うのですが。
1980年。翼が肉厚で重そうなのを除けば、全体の感じは良し。おまけのシーラカンスはミニチュアとしては世界初のモデル化かも。
1982年。当時作った物はジオラマに使用してしまったので、こちらのストックの写真でご勘弁を。完成品は、顔を作り変えてありますが秘宝館Vol.17にいます。
70年代のその他の海外恐竜プラモでは、1976年発売の、「ADDAR」というメーカーの「ボトル恐竜」が有ります(秘宝館Vol.18に紹介記事有り)。「ADDAR」は猿の惑星シリーズのフィギュアキットで知られていますが、このボトルシリーズはジョーズや幽霊や宇宙船や第一次大戦機の空中戦など何でもありで、かなりのキワモノメーカーだった様です。
ホビー・ジャパンの記事の中で、タミヤの1/35プテラノドン写真 9が紹介されています。プラモ見本市の会場で配られた非売品との説明ですが、「田宮模型全仕事」という本によれば、当初工場見学の土産として配られ1981年1月に限定販売されたそうです。このキット、ベースの海岸共々実に素晴らしい出来で、当時1/35ミリタリーシリーズ等で日本のトップメーカーとして名を欲しいままにしていたタミヤの面目躍如といった所。そのタミヤが81年暮れに、やはり1/35で恐竜シリーズを発売すると聞いた時は、いやがうえにも期待が高まったのですが…。
次回はタミヤをはじめとした古き良き?国産恐竜プラモの巻です。
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田村 博 Hiroshi Tamura
ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。