Vol.62 恐竜プラモデル史 7
海洋堂が恐竜シリーズをリリースし始めた80年代半ば、荒木さんをはじめとする海洋堂の恐竜造型作家達に多大な影響を与えたと思われる1冊の本があります。
アメリカのイラストレーター、ウイリアム・スタウトのイラスト集「THE DINOSAURS」(写真1)で、そこに描かれた、当時の最新学説に採り入れ(例えば鳥盤類の頬袋など)、骨格を反映したプロポーションで、筋肉の動きや皮膚のシワなどが強調され、活動的で生活感に溢れ、時には表情すら感じられる生き生きとした恐竜達は、それまでの復元画とは一線を画す“アート”でした。
模型のアート化を目指す海洋堂はだいぶ傾倒していた様で、スタウトの許可を得てイラストを3D化し、機関誌「アートプラ」恐竜特集号の表紙にも使用している程です。(写真2)
*「THE DINOSAURS」は1993年に「恐竜の世界」のタイトルでみき書房から訳本がでました。
今回は、前回の荒木さんの作品に続いて発売された海洋堂初期の恐竜キットの中からセレクトした写真集です。(カッコ内は原型製作者・敬称略)
荒木さん以外の原型師は主に怪獣造型が専門の人達だったので、自由奔放なスタイルの恐竜が勢揃いしています。スタウト流恐竜に、昔の図鑑から抜けだした様な恐竜や今にも火を吐きそうな恐竜が入り乱れ、初期の海洋堂恐竜シリーズはなんとも大らかでバラエティに富んだ楽しいラインナップでした。しかもそのどれもがガレージキットならではのこだわりのスーパーディテールを誇っていたのです。この時期の私は次から次と発売される高価で手間隙のかかるガレージキットを買い漁り、ただひたすらコツコツと作り続け、棚で増えてゆく恐竜達を眺めてはほくそ笑んでいたのでした。
*アートプラの表紙と同じもの
*顎を閉じてみました。
*13,17,21以外は1/35スケール
荒木さんは84年11月の模型誌「モデルグラフィックス」創刊号から、恐竜模型制作記事「はり師カズやんの恐竜でっせ!」の連載を開始。途中タイトルを変えながらも実に2001年まで続いたこのコーナーが、今日の日本の恐竜造型界の礎になったと言っても過言ではありません。
次回は松村しのぶさん登場の海洋堂後期の「ダイノランド・シリーズ」と、他のメーカーの90年代のガレージキットを紹介する予定です。
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田村 博 Hiroshi Tamura
ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。