新恐竜秘宝館

Vol.78 フタバサウルス祭

前回紹介した科博のクラウドファンディング・フタバサウルス(以下CFフタバ)が生まれ変わったので、今回は我が家のフタバスズキリュウ/フタバサウルスを総動員してお祝いです。

まずは新生CFフタバの姿をご覧ください。

 

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まあまあ化石風にはなったと思うのですが、科博に連れて行って本物とご対面させてみるとちょっと赤っぽすぎたか…。自分で撮った写真を見ながら塗ったのですが、写真だとちょっとの光の加減で色が変わってしまうので難しいですね。

オマケの、お三方のサイン入り記載論文の同スケールの図版とのツーショットは当然のことながら瓜二つで、「タイプ標本のレプリカ」感がひしひしと感じられ嬉しくなります。

しかしここで重大な事に気付いてしまいました。このCFフタバ、左の顎に歯がびっしりと並んでいますが、実物の左顎には歯は殆どありません。そしてCFフタバの左顎の歯列は科博の天井から吊られている全身骨格の頭骨復元模型と同じ様なのです。ということはCFフタバは、タイプ標本から復元模型を作る過程で左の歯を植えた段階で何らかの理由で放置されたタイプ標本改とも言うべき物のレプリカなのでしょうか?

タイプ標本改誕生のいきさつについては、何かドラマがありそうで興味深々なのですが、なにぶん50年以上も前の事だと思うので歴史の闇の中かもしれません。恐竜倶楽部のつてを使って調べてみるつもりですが…。

このタイプ標本改は3Dデータを取るくらいですから現存する筈で(多分科博の収蔵庫に)、そう思ってネットで調べたら、北海道の三笠市立博物館で2019年に開催された特別展「マリタイム!海の爬虫類と哺乳類たち」に科博から貸し出され展示されていました。三笠市立博物館のHPにCFフタバと同じ形をした頭骨の写真が載っています…とここまで解明して悦に入っていたのですが、何気なく見たCFの募集ページのリターン品の所にタイプ標本改の姿が!

なんてこった!

あの時は歯列など気にも留めていなかったのでした。何か勉強させてもらった気がします。

それにしてもこのタイプ標本改の出生の秘密、解き明かしたいものです。

 

せっかくのフタバ特集なので、発見当時の熱気が伝わってくる少年雑誌の特集などから現在に至るまでのエポックメイキングな(といっても新たな発見があったわけでは無いのですが)書籍を紹介しつつ、フタバサウルスの歴史を振り返ってみたいと思います。

 

画像2

< 当時の本に掲載された写真など >

 

画像3

< 書影 >

 

もちろん記事や写真、イラストが載っている書籍はこれら以外にも相当な数があると思われますが、とても探し出せません。

 

書籍でたどるフタバサウルス史

 

*1968年10月、福島県いわき市大久町入間沢で、当時高校生だった鈴木直氏によって発見。

 

1970/04雑誌「海洋科学」4月号に、発掘に携わった長谷川善和博士と小畠郁生博士の共同執筆による「海の“恐竜”/首長竜」と題した記事が載る。ここではフタバスズキリュウの呼び名は無い。「首長竜」は長谷川先生の発明した呼称で先生曰く、発見された化石を説明するのに判りやすい適切な名前が無かったので名付けたとの事。ちなみにあの横山又次郎がつけた和名は蛇頸龍。ジャケイリュウ…確かに言葉では伝わりにくいかも。

長谷川、小畠両巨頭の共同執筆は非常にレア。(画像3)

 

1970/07小畠郁生著の児童書「ぼくらの町に竜がいた」刊行。(画像3)

 

1970/12東京・小田急百貨店を皮切りに各地を巡回した展覧会「地球展―極地の過去と現在を中心として」の図録に、現在科博に展示されている頭骨、椎骨、骨盤、足鰭などの実物化石の写真がある。展示されていたようだ。(画像2)

 

1971/04「5年の学習」(学習研究社)に「日本列島にも恐竜がいた!」のタイトルでフタバスズキリュウ発見の物語が載る。

口絵はブリアン風フタバスズキリュウVSサメ。(画像2)

 

1975/01「学研まんが・化石のひみつ」に劇画タッチの発掘記が載る。(画像3)

 

1975/08「のび太の恐竜」初登場。その後のピー助についてはウィキに詳しく掲載されています。

 

1975/10「5年の科学」(学研) 巻頭カラー10ページで「よみがえったクビナガリュウ」と題して化石の写真を紹介。いわき市文化センターに展示された全身骨格(現在は石炭・化石館ほるるに展示)と、採れたての生々しい頭骨の写真が興味深い。(画像2) 

*この年、科博の自然史館(みどり館)が完成。4階にフタバスズキリュウ全身骨格のレプリカが展示される。(画像2)写真は81年頃のもの(「日本の博物館10―自然史博物館」講談社1981より)

 

1976/01「くびながりゅうをさがせ」たかしよいち・文/石津博典・絵(理論社)(画像3)

 

1976/09「恐竜がすんでいたいわきの大地」(平地学同好会)(画像3)

 

1976/05「大地の驚異」(はましん企画)(画像3)

*この2冊はいずれも地元の出版物

 

*1977年11月、科博100周年記念フタバスズキリュウ切手が発売される。これが日本最古の古生物切手。(画像4)

 

1979/09「T・P(タイムパトロール)ぼん①」藤子・F・不二雄(潮出出版)のエピソード「消されてたまるか」にワンシーンだがフタバスズキリュウが登場する。こちらはピー助とは違い狂暴。(画像3)

*「T・Pぼん」は近頃Netflixでアニメ化され現在配信中。

 

*1984年10月「いわき市石炭化石館」オープン。図録も発売。(画像3)

 

1988/01「6年の科学―大特集・恐竜」(学研)

5ページにわたる鈴木直氏へのインタビュー記事を掲載。(画像3)

 

1988/08「太古からのメッセージ―いわき産化石ノート」(いわき地域学會出版部)(画像3)

 

1990/06「つよいぞ!恐竜フタバスズキリュウ」

たかしよいち・文/伊藤章夫・絵(国土社―おはなしなぞとき恐竜の世界)。この本はその後、2002年に理論社から「およげるぞ!フタバスズキリュウ」(まんがなぞとき恐竜大行進)として再版、さらには2017年、中山けーしょーのイラストによる新版「フタバスズキリュウ―日本の海にいた首長竜」として理論社から出版された。(画像3)

*作者のたかしよいちは恐竜ものだけでも100冊以上の児童書を残したその道の大家。インタビューで構成された半生記「童心賛歌」佐藤倫子(西日本新聞社1995)では長谷川善和博士との交流にも触れ、フタバスズキリュウにまつわるエピソードも語られる。

 

1990/10「クビナガリュウの発見」鈴木直・文/藤本昇・絵(文渓堂) (画像3)

*発見者本人による発見のレポート。

 

1992/09「くびながりゅうの発見」小畠郁生・文/平沢茂太郎・絵(フレーベル館・新版かんさつシリーズ)(画像3)

 

*1979年に「フレーベル館のかんさつシリーズ」として出版されたものだが、そちらは入手困難。

 

1995/04「月刊ホビージャパン―'95春夏新作恐竜コレクション」(ホビージャパン)

*松村しのぶさんが連載していたWILD RUSH 61で山崎繁作のフタバスズキリュウ幼体骨格が紹介される。(画像6)

 

*2002年2月~9月にかけて日本テレビの番組「鉄腕ダッシュ」で、フタバスズキリュウ発掘現場近くでクビナガリュウを発掘するというプロジェクトを放送。何点か部分化石が出た。長谷川先生も番組に登場していた。

 

*2006年5月にFutabasaurus suzukii として記載される。

 

*2007年4月に科博日本館が完成。フタバサウルスが展示され現在に至る。(画像3)

 

2007/08「いわき化石ガイド」(いわき市観光物産協会)(画像3)

 

2008/03「フタバスズキリュウ発掘物語」長谷川善和著(化学同人)*必読!(画像3)

 

2012/07「日本の恐竜化石を復元しよう」(二見書房2012)  (画像3)(画像7)

*フクイラプトルとフタバスズキリュウの1/10骨格モデルを作るペーパークラフト本。

 

2018/08「フタバスズキリュウ もうひとつの物語」佐藤たまき著(ブックマン社)

*必読!(画像3)

 

 

さてここからはフタバスズキリュウ/フタバサウルスフィギュア&グッズ大集合です。秘宝館Vol.31などを合わせてご覧ください。

 

まずは科博から
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1977年発行の記念切手。その手前は昔の科博土産(秘宝館Vol.31)。そして現在も売られているトートバッグに科博ガチャにヌイグルミ。ヌイグルミはカロラータ製のサイズ違い4種が売られていますが、科博のタグが付いているのはこれだけ。先日放送されたテレ東のドラマ「ソロ活女子のススメ」の「ソロミュージアム」編でも小道具に使われていました。そのほかネクタイや靴下などの服飾品、ノートやクリアファイルなどの文房具など多数あると思われますが、確認していません。

右の物は会社の記念品のようです。どこで手に入れたかは不覚にも覚えていません。頂き物かも。フタバスズキリュウや科博の名前は何処にも無いのですが、ベースの化石を含んだ石板につけられたプレートの会社名Tanseisha (丹青社)は科博日本館の展示を手掛けた会社なので、完成記念に関係者に配られた物ではないかと。もしそうならフタバスズキリュウ以外には考えられません。お宝です。

 

いわき市
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福島国体記念貯金箱、南部鉄器、いわき大久カセットテープは秘宝館Vol.31、石炭化石館の「絵付き石炭」は秘宝館Vol.47で紹介済み。初披露は中央の「鋳銅文鎮海竜」で脇腹に小名浜港の文字が刻まれています。

 

モデルキット
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海洋堂・山崎繁原型の幼体骨格、同じく海洋堂マスコットシリーズ、エンドルフィン、そして去年発売のウェーブのプラモデル。いずれも秘宝館Vol.31新秘宝館Vol.75で紹介済み。

 

その他
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左上(「日本の恐竜化石を復元しよう」)とその下のペーパーモデル骨格は新秘宝館Vol.63で紹介済み。そのとなりの黒い骨格もやはりペーパーモデルでレーザーカットされた段ボールを組んでいくもの。組み立ては難しくは無いのですが小さいうえパーツが細かいので、頸肋骨・肋骨を背骨はめる作業には少々ウンザリしてしまいました。hakomoというメーカーのものです。

その下のヌイグルミはリアル寄りのヌイグルミメーカー、ハンザの製品(以前始祖鳥を紹介したことがあります―新秘宝館Vol.34の終わりの所に登場)。このフタバサウルスを名乗るヌイグルミは首が自由に曲がるので、首を伸ばしたところと科博ポーズの2態を載せました。これで眼がもう少し前方についていたら言う事無しなのですが…。

右上に集めたのはソフビなど正統派?のフィギュアです。

左からセガトイズ・恐竜王列伝のフタバサウルス(2007)/タカラトミー・アニアのフタバサウルス(2015)/カロラータの立体図鑑ボックス白亜紀Vol.2のフタバスズキリュウ(2009)/講談社動く図鑑MOVEフィギュアのフタバサウルス(2017)/ハピネット大恐竜時代のフタバスズキリュウ(2007)。手前はトミカ恐竜運搬車セットのフタバスズキリュウ(2019)ですが、オレンジに塗られフタバスズキリュウを名乗るのはセットの物のみで、単体では青く塗られ「首長竜搬送車」(2014)として売られています。

*MOVEと大恐竜時代のフィギュアの首が短すぎると思っても口にしてはいけません。フタバサウルスの首は見つかっていないので、長さは推測なのです。

 

ピー助ははずせません。大活躍の古生物ライター、土屋健さんなど自分の原点はピー助だと公言していますし、中国ではノビタイの種小名を持つ足跡化石も記載されました。現在一線にいる研究者で「のび太の恐竜」で育った方は沢山いると思います。

フィギュアもヌイグルミも数多く存在しますが、我が家にはこのエポック社のコミックテイストフィギュア(2013)とメディコムトイUDFシリーズ(2014)の2頭がいればいいかなと。

私はそれほど思い入れが無い世代なのです。

 

最後はヤフオクで手に入れたハンドメイドのアート作品。7x10cm程の小さなものなのですが金属で骨格のレリーフを造りこんでいます。非常に手が込んだもので、歯もちゃんと表現されポーズも良く、写真では判りづらいですがキラキラとしてとても奇麗です。作者はどんな方なのでしょうか。

 

フタバサウルスはここまでです。次は5月末に新宿で開催されたミネラルフェアから。

 

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新秘宝館Vol.61で取り上げて以来、興味を持っているタラットサウルス類。その仲間で最近中国のメーカーVWUVWUから発売されたシンプサウルス(Xinpusaurus)の骨格模型を少々無理をして買ってしまったのですが、ミネラルフェアの会場でその実物化石を発見!大きさも我が家の骨格とほぼ同じ!これは並べて飾るしかないところですがお値段が765000円とあっては手も足も出ません。せめてもと写真を並べてみました。下の写真は我が家のタラットサウルス類化石(新秘宝館Vol.61)とシンプサウルスのツーショット。

そして今回のミネラルフェア一番のお買い得品、ミクロラプトルとプシッタコサウルスの頭骨レプリカ。この出来でどちらも5000円ほどでした。

 

最後にもう一つ衝動買いしたものをご紹介。

 

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3Dプリンターによる骨格模型をリリースしているアンフィ合同会社の最近作なのですが、ゴジラ立ちアロサウルス、しかも大阪市立自然史博物館に展示されている標本の3Dデータから作成したものだそうです。最新デジタル技術による昭和恐竜骨格のモデル化。このギャップがたまりません。しかも大阪自然史はクラウドファンディングによるアロサウルスのリニューアルを考えている様で、もしかすると現在のゴジラ立ちアロはいなくなるかも。となればこのアロの模型はいっそう愛おしい物になります。

正に私向けの一品です!

ちなみに日本で生き残っているゴジラ立ちアロは大阪以外では、私の知る限り北海道三笠市立博物館(先ほども出てきました)と島根県の奥出雲多根自然博物館に展示されている“個体”だけ。絶滅危惧種なのです。

写真はアンフィのアロ骨格3態と81年ごろの大阪自然史の堂々たるアロの写真(フタバスズキリュウ旧科博写真と同様「日本の博物館10―自然史博物館」から)。さらに当時の大阪自然史の刊行物「ケモノと恐竜の化石」。


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田村 博 Hiroshi Tamura

ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。