Vol.65 恐竜プラモデル史 10
秘宝館Vol.9でも紹介しましたが。1993“ジュラシック・パーク"年は空前絶後の恐竜ブームで、巷にはありとあらゆるJPグッズや便乗恐竜グッズが溢れていました。
その流れの中、アメリカの老舗プラモデルメーカー「リンドバーグ」がJP恐竜のプラモデルを発売。海外メーカーが新作恐竜プラモデルをリリースするのは、エアフィックス社のブロントサウルス以来、実に11年ぶりの快挙?でした。
と言うことで、今回はジュラシック・パークの恐竜キットを紹介。その意外な多さに、一緒に紹介してプラモ史の最後を飾る予定だった、同年発売のタミヤ「恐竜世界シリーズ」は次回へと追いやられてしまいました。
リンドバーグ
ヴェロキラプトル(写真1)・ティラノサウルス(写真2)・ディロフォサウルス(写真3)・ステゴサウルス・コリトサウルス(どちらもパイロー社の旧製品の焼き直しで、映画にも登場しない。秘宝館Vol.56参照)の5種。プロポーションに若干の問題はありますが、ディテールはなかなかです。でも作ったのはヴェロキだけ。
ホライゾン
ヴェロキラプトル(写真4)・ティラノサウルス(写真5)・ディロフォサウルス(写真6)とリンドバーグと同じラインナップですが、こちらはソフトビニール製組立てキット。映画のプロップを原型にしたというだけあって見事な出来です。全長60cm超。他にブラキオサウルスもあります。
ツクダホビー
ソフトビニール製組み立てキットが6種。ティラノ・ラプター・ディロフォ・ブラキオ・トリケラ・ガリミムスと主要なキャラは揃っています。しかし私が購入したのはガリミムスのみで未開封のまま押入れの奥へ。と言うのも、まったく同じ物の完成品が平行して売られていたため、そちらを揃えた時点で力尽きてしまったのです。本来ならキットも買っておくのがマニアの王道ですが、当時、あまりに買う物が多かったのでつい弱気に…。
こうして振り返ってみますと、この年は収集に忙しすぎてか、あまり作っていません。「最高峰のホライゾンのキットを組めばあとはもういいかな…同じ色を塗るのも飽きるし」という気持ちも確かに有りました。
1997年には2作目の「ロストワールド ジュラシック・パーク」が公開され、この時はやはり老舗のメーカー「レベル」から、ティラノサウルスとヴェロキラプトルが発売されました。(写真10)この二つは別々のキットですが、オーロラ方式(秘宝館Vol.57)でベースを連結できます。ティラノの尾が短すぎるのを除けばとても良い出来です。他に映画に登場した車が2種類発売されましたが恐竜ではないので私としてはパス。
「タミヤ」と並ぶ日本の代表的プラモメーカーで、飛行機などスケールモデルに定評がある「ハセガワ」からも、ティラノ・トリケラ・ステゴにプテラノドンという定番4種がリリース。15cmほどの小さなキットながら、プロポーション、ディテールともに申し分なく、さすが「ハセガワ」という出来なのですが、惜しむらくは、ティラノがどうひいき目に見てもアロサウルスである事。手の指も堂々3本あります。いったいどこで誰が間違ってしまったのか…。間違ってアロを作ってしまったものの、映画にはアロは登場しないので、どうせわからないだろうとT-rexとして押し通したのでしょうか。これがスケールモデルだったら、たとえばパンサー戦車のパッケージにタイガー戦車と記されているわけで、当然商品回収…。恐竜模型が軽んじられている様で悲しいですね。まあ、アロとして見れば良いキットです。
(写真11,12,13)
2001年の「ジュラシック・パークⅢ」の時には、もはやプラモデルは発売されず、代わって海洋堂製の食玩JPⅢシリーズが展開されました。時代は確実に移り変わったのです。
← Older Post Newer Post →
田村 博 Hiroshi Tamura
ジャズピアニスト。1953年1月27日生まれ。
恐竜倶楽部草創期からのメンバー。恐竜グッズ収集家として知られる。東京、横浜のライブハウスを中心に活動中。
1996年に、ベースの金井英人のグループの一員としてネパールでコンサートを行った。「開運なんでも鑑定団」などテレビ番組や雑誌に度々登場。「婦人公論」2002年7/22号で糸井重里氏連載の「井戸端会議」で国立科学博物館研究室長・富田幸光氏と対談。千葉県市川市のタウン誌「月刊いちかわ」に、恐竜に関するエッセイを半年間連載。1998年の夏には群馬県と福島県の博物館の特別展にコレクションを提供。2000年夏には福井県「恐竜エキスポふくい2000」にコレクションを提供、サックス奏者、本多俊之とのデュオで、恐竜をテーマにしたコンサートを行った。